仲立ちであり祈り『ドラフィル! 3 竜ヶ坂商店街オーケストラの凱旋』 感想

美奈川 護(著) 2013/3
〇あらすじ〇
再び季節はめぐり、次の竜ヶ坂祭りに向けて練習を続ける『ドラフィル』のメンバーたち。しかしそのさなか、響介のもとにある奇妙な依頼が舞い込んだ。依頼者の名は、七緒の育ての親であり、彼女を見捨てたはずだった女性-一ノ瀬真澄。その内容は真澄の姉であり、世界的ヴァイオリニストの羽田野仁美が所有するヴァイオリンの鑑定であった。所持した者に不幸を呼ぶという呪いのヴァイオリン"チェリーニ"に酷似した、その楽器の正体とは?そしてドラフィルの演奏会の行方は-。

音楽と生きる家族の物語

「ドラフィル!」シリーズは最初から最後まで純粋に家族の物語であったと作者は語っていた。
一貫した家族の物語の中心に音楽があって、音楽に人生を狂わされたり、魅入られたり、未練を残していたり、純粋に楽しんでいたり・・・日常の一部になっていたりと音楽と密接した人生の物語を味読できた上で本編に1回か2回、静かな曲調から迫力あるものまで、思いや執念をのせた音楽を届けてくれた「ドラフィル」シリーズが1冊で終わらず3巻も続いてうれしいし、形がなんであれ何かに熱中し続けている人たちを見ると何か感化されるものがある。

情熱でもない、愛でもない、努力でもない。それら全てをひっくるめてもなお届かない頂点に挑む、祈りのように切実な音の集積

P12

そんな主人公の音楽人生の転機となった存在であるかつてのヴァイオリニストで、今は竜ヶ坂商店街オーケストラの指揮者である七緒が語る音楽、七緒にとっての音楽は毎巻本編の骨子となるテーマがあり力がある。
音楽家になれなかった主人公と事故で弾けなくなり無音の演奏家になるしかなかった七緒「音楽は永遠か?」「音楽家は音で語れ」「音は正直だ、言葉よりも表情よりも」の1巻、弓を置けと言う父との父子の物語での「音楽から逃げたら二度と手の中には戻ってこない」の2巻、様々なものを経た先で生き方を語る「生きることは、奏でることだ」の3巻。皆々本業があって、その上で音楽が人生の一部を担っているエピソードと音楽の力を絡めた物語たちからは多面的に音楽の魅力と執念が伝わってきた。温かく、揺さぶるように激しく。

手にした関係者を次々に不幸に陥れる呪いのヴァイオリン「チェリーニ」を巡って連鎖的に謎だった七緒と母の過去が明らかにされ、元ランドルフィの所有者のゆかりが戻り、主人公にとってこの町がホームであると言ってもらえる。商店街で演奏する曲はドラフィルの根底にある職匠歌人の旋律「マイスタージンガー」
メンバーから外れて遠くへ旅立ってしまったメンバーがいれば、時を経て戻ってきたメンバーがいる。場所は違えど変わらないのは、この町がこの町で演奏してきた音楽家にとってのホームであること。
芸術と関わる人たちの物語をこうも夢中にさせてくれるのは作者のデビュー作「ヴァンダル画廊街の奇跡」のように美奈川先生の強みなんだなぁと思った。
コンクールで聴いた少女の演奏で憧憬を抱いた1巻のスタートと3巻の締め文、間にある音楽家の物語、各章に載っている曲名からこの「ドラフィル」シリーズが、裏表に表紙がついたアルバムだと思えた。音楽家たちの物語が詰まったアルバムだ。


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