86―エイティシックス―Ep.10 ―フラグメンタル・ネオテニー 感想

安里 アサト(著)しらび(イラスト)I-IV(挿絵、メカニックデザイン) 2021/6
〇あらすじ〇
 共和国、存在しない「86区」。一人の年端も行かぬ少年兵が、その地獄の戦場に降り立った。
 彼の名はシンエイ・ノウゼン。エイティシックスたちの『死神』として、傷つき倒れた仲間たちの遺志を、行ける限り先へと連れていく使命を背負うことになる者――。これは彼を『彼らの死神』へと変えた人々との出会いと、その絆を断ち切った残酷な、そしてあっけない死と破壊の物語の数々。

今のシンが抱く有形無形との出会いを描く

幼い年代から戦線に投入され、戦い方からして早々に朽ち果ててしまうだろうと思われていたシンが、最後の1人となり、後に「死神」と称されるまでに至る物語の数々。「死神」には忌避されがちな意味合いと、死した仲間を最後まで連れていってくれる神託も含まれていると読むと伝わる。86は人ではないから墓を作れない、代わりに名を刻んだ機体の一部を墓標として生き残った者がもっていく。そんな想いと、主人公の現状を思って彼に物を授けたかつての戦隊長、一見無情に見えるが隊員を苦痛から解放して看取ってやる責任の取り方を教えてくれた次の戦隊長、補給用の無人支援機「ファイド」との温かな縁のある物語。在りし日を描いた86たちの物語と、在ったかもしれない生き方を想う様子を描いた話など、どこか望郷にも似た感覚さえ覚える切々としたエピソードの数々だった。
9巻とは違った文体で描かれていて、本巻の方が好みだった。なんか後からとってつけた印象を抱かせるための後追いの描写(9巻)よりも、人物に寄り添って展開と並行して描写する本巻の筆致の方が好み。

奇縁とは言わずともシンとの確かなつながりを描くファイドの視点の話もあるとは。ただのプログラムされたことしかできない無人支援機ではない、シンの心の支援にまで及ぶような話だった。

スピアヘッド戦隊のハンドラー就任前の別戦隊のハンドラーだったレーナが、初めてシンの部隊と通信した話もあるとはサービスがいいなぁと思った。
と思ったらさらにシンと彼の幼なじみのアネットの話もあるとは。1巻からのアネット派としてはまた本編の方でもそこそこ割いたページでシンとアネットの話も読みたいものだ。

「レーナったら美人なんだもん。とられちゃうもん」
「親友の恋人に手なんて出しませんよーだ」
「ちっ、ちが…恋人じゃないわよ!」
思わず、といった様子で叫んだリッタは、

P346 「優しかった世界」

在り得たかもしれない優しい世界。その世界でないと出会えない人がいるし逆も然り。多くの仲間の死を見て死線をくいくぐった世界で歩んできたことを否定したくないシンの吐露に何を思うか。なんか無だった。双方の世界を天秤にかけて打ち消し合った先の無の境地。次は9巻で得た情報から決着へと向かうということで、至った先で後ろを、過去を顧みた時の86たちを見ていく。

他に味わい深い小説を求める人に

硬派戦記「烙印の紋章」「レオ・アッティール伝」を手掛けてきたの著者の新シリーズ。

タイトルで想起される軽やかな筆致の物語ではない。
じんわり温まる小説や心揺さぶられる小説、熱い小説に読んでいれば幾度出会うことはあれど、はじめから最後まで味読ができた上で上記のどれかの小説たり得るものは、電撃文庫でデビューして20年活躍している杉原智則先生の小説が筆頭に挙げられる。面白いシーンで楽しませることも大事だけど小説の本質は、読ませる文章で深い没入感があり、味わい深く読める小説であると思う。物語を形作るのは文章だから。面白い上に味読ができれば、最高な小説に化ける。というのは杉原先生の本を手に取ってパラパラめくれば直感で全体的に文章がぎっしり詰まっていると分かる。とにかく読ませる文章と()のキャラの心の声によるテンポが堪らない。笑みをこぼしたり、ぐんぐんのめり込んだり、ドン!と考えさせられる心境に陥ったりと地の文の多さが魅力にしか映らない小説。会話の勢いでごまかさず、紛れもなく地の文で形作る物語で勝負している小説。
物語は、英雄の1人が災厄を阻止した平定後、敗戦国に立って目のあたりにした事実から自身の正義に問いかけ、悩み、虚飾に満ちた真実にメスを入れる物語。現地に立ってみて体感することは、真実は事実を曇らせるということ。読者の現代に通底するテーマがあり、現実に影響を及ぼす力があるライトノベル。
イラストレーターをかえた2年ぶりの続刊に、作品を追っていた多くの読者が歓声を上げた。

少しでも気になったら、1巻の熱いAmazonレビューの数々をご一読ください!
3巻は2年ぶりの続刊であるにもかかわらず1巻よりも星の数が多いのでファンの方々がどれだけ切望されていたか伝わってくるかのようです。著者はブログやTwitterをやっておらず宣伝は発売時の公式アナウンスだけなので多くの口コミが集まるのはうれしい限り。

スポンサーリンク